2008/11/17-11/23の空模様。


port、港、という言葉は
porte、扉、門、という言葉とつながっていると
どこかで読みました。
今の水瓶座はどうも
そんな場所にいるように見えます。
空港とか、港、ここから遠く離れた場所に行くための
玄関口にいるように見えます。


駅と港が違うのは、
その「じわじわ感」によると思います。
駅から電車や汽車で移動できる場所は
相当がんばれば、基本的には(物理的には)あるいていける場所です。
地続きで、つながっていて、こちらとむこうに切れ目がありません。
そこにある「距離」は単に量的な問題で、
質的な問題ではありません。


港はその点、質的な距離をはらんでいます。
歩いてはいけないし、
いったんそっちに行ったら簡単には帰ってこられません。
こちらとあちらの違いが実に明快です。
切り離されているのです。


水瓶座にとって、今この場所から見える「未来」は、
港や空港で目的地を思い描くように見えていると思います。
「今」と「未来」が、
物理的な距離ではなく、質的ななにかで隔てられていて
それを超えることが可能だと言われているような状態なのです。
この「港」の時間は
今までの積み重ねから生まれています。
ここまでこれたからこそ、ここからゆけますし
ここからゆく意味があるのは、今までがあってこそ、なのだと思います。